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仙台高等裁判所 昭和27年(ネ)136号 判決

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、被控訴代理人において、本件行政処分は原審の発した執行停止命令により停止されておるので、被控訴人は引続き自動車運転業務に従事しているものであると釈明した外、原判決事実摘示と同じであるからこれを引用する。

(各証拠省略)

三、理  由

被控訴人が昭和二十一年十月二十八日普通自動車免許第六八二二号を以て自動車の運転免許を受け、後記交通事故の当時訴外日東瓦斯薪工業株式会社に貨物自動車運転手として雇われていたこと、控訴人において昭和二十五年三月二十八日附の書面で被控訴人に対し「被控訴人は昭和二十四年十二月二十八日午後五時三十分頃普通トラツク(第四三五四号)を運転中、福島県相馬郡石神村長野字的場七十番地内の県道上で訴外新谷清治と衝突し、そのため同人に全治三カ月を要する傷害を与えた」という理由で、道路交通取締令第四十九条の二の規定により「控訴人の追て定める時期に同令第四十三条第一項各号所定の試験を受けること、これを拒み或は怠り又は試験に合格しないときは、被控訴人の運転免許はその効力を失う」との条件を附して、昭和二十五年四月一日から同年七月二十九日まで被控訴人の運転免許を停止する旨の処分を同年四月二日被控訴人に通告したことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第一号証、同第四乃至第七号証、当裁判所の真正に成立したものと認める乙第二号証、当審証人新谷清治、新谷健二の各証言及び当審における検証の結果を総合すると、新谷清治(当時約十八歳)は昭和二十四年十二月二十八日の夕方弟健二(当時約十六歳)と共に、福島県相馬郡石神村北長野の自宅を出て、当時同郡原町の紡績会社に通勤していた姉真砂子を迎えに行くべく、石神村北長野方面から原町方面に通ずる県道(俗称長野街道)を原町に向つて歩行中、同日午後五時三十分頃右道路の左側(原町方面に向つて)にある引地正意方の東方約四十間の路上(石神村長野字的場七十番地先)において、折柄背後から原町方面に向つて進行して来た貨物自動車の左側箱板に触れて顛倒し、その自動車の後部左側車輪で大腿部を轢かれ、そのため左大腿部骨折、左下腹部恥骨打撲等で全治三カ月を要する傷害を蒙つたことが認められる。

そこでまず本件の主たる争点である右新谷清治を轢いた貨物自動車が、果して被控訴人の運転していたものであつたかどうかの点について判断する。

(一)  被控訴人が右事故発生の当日、薪約四百束を積み、助手稲村昭衛、荷主遠藤雅雄の同乗している貨物自動車を運転操縦して、石神村大原から原町に向い同日夕刻頃前記事故発生の現場を通過したことは、本件において被控訴人も認めるところである。

(二)  成立に争のない乙第八号証によると、右貨物自動車は日東瓦斯薪工業株式会社がその親会社である東京都千代田区神田錦町の東京燃料林産株式会社から借りていたもので、普通中型四輪車、番号第四三五四番、車名いすゞ号、車体青塗であつたことが認められる。

(三)  成立に争のない乙第六、七号証、第九号証、第十一号証、原審証人渡辺利直、当審証人加藤友三郎、木幡鉄夫、高橋敏彦、山田良輔の各証言を総合すれば、前記新谷清治を轢いた貨物自動車は薪を積んでいたものであつて、その直前に原町の東北土建株式会社の貨物自動車三台が、事故発生の現場を相次いで原町方面に向い通過したが、しかしこの貨物自動車は小山田県道の砂利敷工事に従事した帰りの空車であり、その他にその頃薪を積んで事故現場を通過した貨物自動車は全然なかつたことが認められる。

(四)  前記乙第十一号証、原審及び当審証人佐藤敏雄、当審証人高橋俊彦の各証言によると、前記証人高橋俊彦は北長野方面から自転車に乗つて原町に帰る途中、事故発生の直前にその現場の少し手前で薪を積んだ貨物自動車に追い越されたのであるが、その際その貨物自動車の番号数字中に「三五」なる文字のあることを現認したことが認められる。(なお、当日被控訴人の運転する貨物自動車が事故現場を通過する前に現場を通過した前記東北土建株式会社の貨物自動車三台の中に「三五一四」なる番号のものがあつたことは、前記乙第九号証により明らかであるが、右高橋俊彦の「三五」の数字を見た貨物自動車は右東北土建株式会社の三五一四番の貨物自動車とは別のものであることは、同人の右証言及び前記乙第十一号証により明白である。)

(五)  成立に争のない乙第三十一、三十二号証、原審及び当審証人佐藤与市、当審証人狗飼豊の各証言によれば、原町地区警察署では事故発生の当夜、貨物自動車を平素使用している同町内の薪炭業者について当日の貨物自動車の動静を取急ぎ電話で照会したのであるが、その際日東瓦斯薪工業株式会社の遠藤雅雄(被控訴人の運転した前記貨物自動車に同乗していた者)方では、同会社使用の貨物自動車は故障修理のため、目下同町の持立鉄工場に預けてある旨の虚偽の回答をしたことが認められる。

(六)  被控訴人は当日事故現場の手前の前記引地正意方附近で被控訴人の運転する貨物自動車の背後から同一方向に進んで来たオート三輪車に道を譲つたと主張し、当審証人遠藤雅雄、稲村昭衛及び被控訴人本人も口を揃えて右の主張に符合することを述べると共に、そのオート三輪車は原町の諸井生花店のものであつたと供述するけれども、成立に争のない乙第二十二乃至第二十五号証、原審及び当審証人加藤友三郎、当審証人諸井浅治、青田義昭、唯野義孝の各証言に徴すると、原町の生花商諸井浅治の雇人唯野義孝は昭和二十四年十二月二十五日午後五時頃、石神村大原の青田義哲方から活花材料の実正木を積んだオート三輪車を運転して前記長野街道を通り原町に帰る途中、前記引地正意方の西方二、三町の処で一台の貨物自動車に道を譲られこれを追い越したことはあるけれども、諸井方では事故の発生した十二月二十八日には石神村方面にオート三輪車を動かした事実はないことが認められる。

以上のような諸般の事情と成立に争のない乙第十二号証の供述記載(原審及び当審証人稲村昭衛は右乙第十二号証記載の供述内容は全証人の任意に出でたものではなく真実にそわない旨の陳述をするけれども、この点はたやすく信用できない。)とを合せ考えると、前記事故を惹起した貨物自動車は被控訴人の運転した前掲貨物自動車であることを認定するに十分である。被控訴人の提出援用にかかる証拠中、上記認定に反する部分は当裁判所の採用し得ないところであり、他に右の認定を妨げるに足る証拠はない。次に被控訴人は、仮に新谷清治を轢いたのが被控訴人の運転する貨物自動車であつたとしても、被控訴人に何等過失がないと主張するので審案するに、前記事故発生の時刻頃は既に薄暗くなつていた上に、当時吹雪の悪天候であつたことは前記証人新谷清治、山田良輔等の各証言により明らかであるから、前方の見透しも困難であつたものと推測し得られる。かような状況の下に自動車の運転に従事する場合には、殊更に前方の注視を厳にし、速力を低減する等事故発生を防止するため万全の注意を施す要あることはいうまでもない。而して、前記証人新谷清治の証言及び当審検証の結果によれば、事故現場附近の道路の幅は約十三尺で、道路は現場から約四十間西方に位する引地正意方附近で若干北方に彎曲しているのであるが、新谷清治は事故発生現場の約二十間位手前で燈光により背後から自動車の進行して来るのに気附き、道路の左端の方に避けて通行していたのに拘らず、前認定のように被控訴人の運転する貨物自動車の左側箱板に触れて顛倒したことが認められる。これによつてみると、特段の事情のない限り、被控訴人は前方注視の義務を怠り被害者等の通行しているのに気附かなかつたか、若くは気附いていたとすれば、操縦に慎重を欠いたため前記事故を起すに至つたものであつて、何れにしても右の事故は被控訴人の過失によるものと認めざるを得ず、この認定を覆し得べき証拠はない。

しからば、被控訴人の右行為は少くとも過失により自動車によつて人を傷つけた場合に当るからして、道路交通取締令第四十九条第三項第一号、第四十九条の二の規定に徴し、控訴人が被控訴人に対し前記のような処分をしたことを以て違法とすることはできない。従つてこれが違法を主張してその取消を求める被控訴人の本訴請求は失当である。

よつて、右と異る原判決は不当で本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第三百八十六条第九十六条第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 谷本仙一郎 村木達夫 檀崎喜作)

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